理事長コラム 第3回

学校法人 せいわのわ 名誉理事長 山中 倫雄 連載インタビュー

第3回【9歳の壁 〜幡多童相談所から難聴幼児通園センターでの歩み~】

幡多児童相談所ではさまざまなお子さんがいらっしゃいまして、私は週一回、言葉の遅れや“かん黙”のあるお子さんに非指示的療法による遊戯療法を行いました。江戸川でしっかり学んでいた基礎が大変役に立ちました。
そこから、今度は「精神衛生センター」へ移ることになりまして、精神障害者の方の在宅デイケアを支援する仕事を行いました。

言葉を育てるということ

そして、私は再び異動をすることになります。
高知市にある横矢耳鼻科の横矢先生という方がいらっしゃいまして、すごく研究熱心な方で、当時、耳鼻科学会で「聴覚障害児は早期に発見して、補聴器を付ければ言葉が育つ」と発表されまして、横矢先生が当時の県知事に提言をし、知事は児童相談所の改築に合わせて県立の「難聴幼児通園センター」をつくると決定しました。そこの訓練指導班長として、私に白羽の矢が立ったのです。昭和55年のことです。

私はその時初めて勉強をして知ったわけですが、聴覚障害というのは、まず脳波で検査を行わなければいけません。また、早期発見をして補聴器を装用すれば終わりということではなく、その後言葉をどう育てていくかが非常に重要となります。
健常者は赤ちゃんの頃から周囲の言葉を聞いて育ちますが、難聴幼児の場合、言語発達のスタートが違うので相当専門的な知識が必要です。
採用した職員たちとお互いに勉強を積み重ねながら、センターを創りあげていきました。

そこで私が学んだことは『言葉を育てる』ことにおいて、一番大事なのは『親と子の関係』だということ。つまり、親子の関係性、親を慕う気持ち、「この人は大事な人だ」という子どもからの愛着。これらをなくしては、言葉は育たないのです。
お母さんやお父さんが「子どもの言葉が育ってほしい」と願うその思いを、どのように補聴器を通じてわが子へ語りかけるか? それはカウンセリングと全く同じです。

親が「おまえは可愛いね。私の声が聞こえるかい?」と言うと、子どもは「ああ、ああ」と答える。その声に「嬉しいね」と親が喜ぶと、子どもは「声を出すとお母さん・お父さんが喜ぶんだ」と感じ、言葉へとつながっていきます。これは乳児期の言葉の発達と同じなんです。

でも、今度は“壁”が出てきます。
言葉が出てきても、その言葉は『人とのコミュニケーション』、つまり『自分の気持ちを相手に伝える』ことができるかどうかという壁です。
言語というのは相手との気持ちの交流であり、言葉そのものは手段に過ぎません。本当の目的は、人と人が、言葉を通して、互いがどういう気持ちを持っているかを分かり合うことですが、その壁が、なかなか越えられないんです。 では、どうしたらいいか? 「体験しかないだろう」という結論に至りました。

デスクワークでいくら言葉を教えても壁の前では崩れていきます。遊びをしたり物を作ったり、表現する中で、自分が困ったときに「助けて」とメッセージを送れる……これが本当の言葉なんです。言葉というものは、体験に添えてあるべきものなんです。
逆を言えば、体験が十分育たないと自立して社会で生きていくことはできないのです。
このことは、決して難聴児だけの話ではなく、健常者の子どもにとっても同じです。

『具体の世界』から『抽象の世界』へ

子どもは成長の過程で、『具体の世界』から『抽象の世界』へと変わります。それはだいたい9歳を境にして変わっていかなければいけませんので、私は『9歳の壁』と呼んでいます。
例えば、「木」や「リンゴ」などの言葉は、具体の世界です。リンゴの絵を見て「リンゴ」と言うのは言語の目的ではありません。言語を使いこなすためには、抽象化していく能力がないといけません。

例えば、リンゴが木に実ることを知り、ミカンも同じであることを知れば「どちらも木に実っている」と気づき、「木に実るものを『果物』と言おう」と抽象化していきます。子どもは体系的に学んでいくのです。

飛行機が滑走路を走っている時は重力を感じますが、浮き上がった瞬間にふっと軽くなるのと同じで、子どもも具体の世界から抽象の世界へ行けば、自由に飛び回れるようになり、行きたいところへ行けるようになります。
「言葉が出るから」といくら親が安心していても、子どもの体験に伴っていない言語であれば、9歳の壁は越えられないのです。

幼児期は『9歳まで』と捉えるべき

『9歳の壁』というキーワードが出ましたので、少しそのお話もしたいと思います。
私は幼児期というのは『9歳まで』と捉えるべきではないかと考えています。
児童相談所での経験上、幼児期に問題があった子どもは、9〜10歳でねじれが生じていきます。体は思春期の芽生えがあって、能力も経験も上がり、行動も自分でできるから親を客観的に見始める時期です。

それまでは批判的な目であっても潜在化していますが、9〜10歳で顕在化され、友人との関係や学校社会との関わりと比較しながら、「自分と家庭はなんだったのか? 親とはなんだ?」と考えるようになるのです。
そのままねじれない子どもは幸せですが、ねじれる子どもの多くは非行へ走ります。私はそうした子どもをたくさん見てきました。

私の持論でありますが、幼稚園や保育所など幼児期を担当する者は、その子の『9歳まで』に責任を持たないといけないのではないかと考えます。
9歳までの間に、きちんと教育をしておけるか。ねじれないために、何かをしなければならないのではないかと考えます。
当法人が「教育付き学童保育 若鮎」や、池川保育所で学童クラブ「ドングリクラブ」を運営しているのは、そうした思いがあるからです。

精神衛生センター時代の理事長

次回「読む力・書く力・話す力・聞く力〜再び児童相談所へ。非行問題と向き合う〜」に続く

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